聖者の行進

夢を見た。

それは、遠くから風の唸る音が聴こえてくる深い夜のこと。
白い雪に満たされた街の外れから、仮面を付けた聖者達の行進がやってくる。
ざく、ざく、ざく、ざく、ざく、ざく。
凍えた風が頬を撫ぜるがままに僕はそれをただ黙って眺めていた。

聖者達はメトロノームのように一定のリズムを刻みながら真っ直ぐに進んでいく。
何を目的としているのか何処を目指しているのかはわからないが、その信念めいた異形の行進は見る者にとって奇異に映り、
灯りの消えた家々の窓の隙間からはそっと子供達が覗いているのが見えた。

「聖者はいったい誰なんだろう。」
銘々が付けている仮面は冷たく無機質でその下に生ある者が潜んでいるとはとても思えない。
機械仕掛けの人形達。
進んでいるのか、戻っているのか。
僕はこれと似たような光景を何処かで見たことがあると思い、そっと記憶の糸を辿ってみたが、
霧に包まれたように上手く形になってこないので深く詮索することを止めた。
それが生きていく為に必要不可欠であることを僕は知っている。

支配する側と支配される側。
搾取され続けるうちに迷うことの無意味さを知る。
いっそ委ねてしまえばいい。
それはこの世界の仕組みそのもの・・・。

ざく、ざく、ざく、ざく、ざく、ざく。
足並みそろえて、果てることなく、
続いていくよ、何処までも。
それはベルトコンベアで運ばれていく部品のように単純で迷いが無い。
不意に立ち止まってみたり、我先にと急いでみたり、不規則な変化がもたらす温もり、
人間臭さとでも言おうか、それが聖者達からは失われているのだ。

ざく、ざく、ざく、ざく、ざく、ざく。
迷うことなくひたすら前へ前へと進む。
立ち止まることは、決して許されない。

聖者達の行進を何処か遠い世界の出来事のように眺めながら、
次第に意識は現実から乖離していく。

ぼんやりと・・・。

脳裏に瞬く赤い点滅。
風のうねる音がサイレンのように響く。
混濁したままの方が煩わしさから逃れられるので都合が良い。

前へ・・・。

いつの事からだろう。
上を目指すことを諦め、呆けた抜け殻の心のまま歩を進めてきた。
正しいと教え込まれてきたものは例外なく意味を無さないガラクタだった。

効率的であることは正しいと称されるべきだろうか?
取り残されない為に生きていないだろうか?

決して満たされることのない心を携えながら、途切れることの無いこの道を進んでいくことに
何時しか心身共に疲れ果て、関節は油の切れたロボットのように軋んだ音を立て今にも崩れ落ちてしまいそうだった。

目的が欲しい・・・。
何でも構わない。

心を許せる友が欲しい。
誰もが羨むような家族が欲しい。
それが、絶対であるという証が欲しい。

自分が幸せであることを噛み締めるためには、誰かの不幸せがなければ成り立たない。
比較することでしか、その価値がわからない。

戻れるものならばあの頃へと・・・。
変わらない、また同じことを繰り返すだけだ・・・。

ちくしょう。
駄目だ。駄目だ。駄目だ。

何処までも薄く広がるばかりで一向に結論に向かう気配のない思索を棄て去るべく、
濡れそぼった子犬のようにぶるっと体を震わせ、意識を現実へと引き戻すことにした。

・・・。
え・・・。
何だろう・・・?

そこにある奇妙な違和感。
何かが微妙にずれている。
だが、それを的確に言い表すことができない・・・。
ぼやけた意識の残骸と戦いつつ中々ピントが合ってこないことに苛立つ。

一度深く呼吸をしてから辺りを見渡してみると、窓から覗いていた子供達の姿が誰一人として見えないことに気付いた。
弱々しい獣の咆哮にも似た風はピタリと止んでおり、月は分厚い暗雲に覆われて今にも光は失われそうな勢いだった。
やけに静かだ。
夜はもともと静かなものだとしても、この静けさは何かが狂っている。
大勢で談笑をしている最中ふいに訪れたしんと張り詰めた空気のような。
違うな・・・では何だろう?
何かがおかしいのに、それが何だかわからないという不安。
真綿に締め付けられるようにじわじわとせりあがって来る焦燥感を拭おうと、額から溢れ出る汗をタオルで拭い取る。
そうして辺りを支配している静寂に気を取られているうちに、自分が重要な点を見落としていることに気付いた。

そうだ、聖者達は?

慌てて視線を移してみると、聖者達は周囲の変化に動揺する素振りすら見せずに淡々と行進を続けている。
でも何かが・・・この違和感の正体は・・・。
心なしか行進の速度が上がっているようにも見える。

違う・・・。

 

違う、音が無い。
音が無いんだ。
行進が続いているのに音が全く聴こえてこない!

その時だった。
今まで何にも興味を示すことなくただ一点を目指していた聖者達の行進がピタリと止まり、
グルリと向きを変え一斉にこちらを凝視してきた。
無言という圧力。
何だ?
どうした?
何か言わなければならないと思い、
なのに、
なのに、
さっぱり出てこない。
代わりに、
カラカラに渇いた喉が悲鳴を上げる。
動けない。
本能が叫ぶ。
逃げろ、と。

殺される!

仮面は表情を浮かべることなく行進を再開した。
迷い無く僕へと向かいながら。

あ、ああ

「逃げなければならない」と頭が命令をするのに反して足はガクガクと震えるだけで、
それを手で抑えつけるのに精一杯だった。
緩慢な動きで体の向きを変えつつ、急速に体温が奪われていくのがわかる。
わかっているのに体がついてこない。
行進は次第に速度を増していき、今にも僕に追いついてしまいそうだ。

仮面の模様の凹凸がはっきりわかるほどの距離にまで近づいた時、
僕は全てを理解した。

これは、夢ではない。
今ここにある全てが現実なのだと。

直視すべきは今であり、
先ではない。

今、今だ。
今だからこそ結果が求められる。

土台を疎かにして大空へと羽ばたけるはずもなく、
張りぼての翼は海へと放り

仮面

仮面が
ああああああああああああああああああああああああ
ああああああああ

ああああ

・・・

ハッとして目が覚めた時、そこには見慣れた六畳一間の部屋の天井が映し出され、
窓から入る風にそよぐシーツが太陽の日差しを目一杯に受けてキラキラと輝いていた。

色褪せたステッカーが張られた冷蔵庫と、テーブルの上に散乱したリモコン。
壊れたエアコンのモーターはグーグーと低い唸り声を上げている。

なんだ、少しも変わってない。
今日も明日も
続いていくよ、何処までも。

一つだけ違う点があるとすれば、部屋にもう誰も居ないということ。
この僕さえも。

主の失われた部屋では風鈴がチリンチリンと寂しげに鳴っていた。