Be Happy

「君はもっと君にしか出来ないことをすればいいじゃないか。」
「あたしは仕事に貴賎があるとは思っていないの。テーブルの上にお皿を並べる人だって、眉間に皺を寄せながら書類に判子を押す人だって、大した違いは無いと思うわ。」
「テーブルに皿を並べるのは誰だってできる。だが君は選ばれた人間なんだ。人々の羨望の眼差しを浴びる義務がある。」
「何故そんなことが断言できるの?」
「傍で何年も見てりゃ自ずとわかる。君の魅力はウェイトレスなんて枠には収まりきらないんだよ。君は僕達とは違う世界で生きるべきなんだ。」
「つまりそれは、今は死んでいるように生きているって事?」
「そうじゃない。荒廃的なこの街と君があまりにもそぐわないってことさ。それにウェイトレスなんて何年続けたって何の足しにもならない。君はもっと積み重ねて前へと進む道を選ぶべきだ。」
「云いたいことはわかるけど、食卓に並べられた七面鳥だって丸焼きになる直前まで餌をくれと強請(ねだ)っていたはずだわ。ウェイトレスを続けることに意味がないからと云ってそれを放棄することには繋がらないんだと思う。それに、この仕事を辞めたら明日からご飯が食べれなくなってしまうし。」
「どうしてそこまで頑なに拒否するんだ?」
「あなたの云い成りになりたくないからじゃない?あたしはあたしが選んだものしか信じない。指示されたり与えられたものだけが全てだと考えてしまう人間になるのはご免なのよ。例え明日からあなたが示してくれた道を選んだとしても、それじゃ全く意味がないの。あなたに促がされて戸惑いながら進んだ道とあたしが掴み取った道は、一見見た目は変わらないけれど中身は全く異なるものなのよ。」
「・・・」
「ああ、別に怒っているわけじゃないの。凄く嬉しい言葉だと思う。あたしの可能性を信じてくれているのだから。でもあなたが描く成功があたしの幸せに繋がるという保証はどこにもないでしょう?」
「幸せ?じゃあ君の幸せって何だ?」
「さぁ・・・きっと暖かくて、転寝をしてしまうものよ。」
「それが欲しいのかい?」
「ええ。それにね、誰だって手に肉刺(まめ)を作ってまで働きたいとは思わない。少なくとも今日みたいに雪の降る日に皿洗いで手にあかぎれが出来るのは避けたいわ。ただ、自分の力で生きていることを実感することのできるこの仕事があたしはそんなに嫌いではないの。」
「じゃあさ・・・」
「その先は云いっこ無しよ。同じ過ちを繰り返すのは愚か者のすることだもの。あなたがあたしを買ってくれている事には感謝しているけれど、あたしの後悔のぶつけ先は常にあたし自身でありたいの。」
「なんだか君の主張は矛盾しているな。仕事に貴賎が無いと云ったり、苦労から逃れたいと云ったり。」
「ええ、自分でもそう思うわ。吹けば飛ぶような軟い信念しかないから言葉が定まらないのでしょうね。心変わりなんてしょっちゅう。それでも一つだけ確かなことがあるとしたら、あたしは自分の思いに忠実であるってこと。それだけはこの身体が無くなるまで変わらないわ。」
「人はそれをエゴと呼ぶね。」
「自分のエゴに忠実でない人間なんて居るの?」
「抑圧に耐え忍んでいる人間は居ると思うよ。」
「それは縛られていることに心地良さを感じているのではなくて?全てを自分で選ぶことは殊の外億劫だもの。」
「なるほど。拘束されていることに対して不平不満を述べる人間に限って、いざ自由を与えられると狼狽するものだからね。」
「ええ。ねぇ、なんだか眠くなってきたから続きは明日にしない?それにさっきからあなたの手があたしの肩に当たって邪魔なの。ベットは半分ずつ使うって約束でしょ?」
「明日か・・・。こうやって少しの不満と希望をぶつけあって明日を迎えられること。これ以上いったい何を欲しがることがあるのだろう。人は贅沢だ。環境に慣れると直ぐに次を求めてしまう。理想の未来を思い描くあまり、今を蔑ろにしてしまう。」
「変な人。何かあったの?」
「何もないよ。君の率直な言葉はいつも僕に安堵を与えてくれるってことだ。」
「ほら、明日も早いんだから灯りを消すわよ。」
「ああ。」

そして沈黙が時を支配した。

灯りの消えた部屋に残ったのは重なりあう二つの手の感触。
どちらから共なく寄り添う二人。
ただ、それだけの事。
でも、それが全てだったことに気付くにはもう少し時間がかかる。

ときがふたりをわかつまで。
きょうは、ねむりに。
きょうは、おやすみ。