遺書

遺書とは誰に向けて記すものなのか。
僕は、分配する必要があるような財産など持ち合わせておらず、伝えねばならない事など何一つ、誰一人として存在しない。
だから、僕は自分の為に遺書を記そうと思う。
自分だけに宛てた遺書を記そうと思う。

君の中に生まれて、死に逝くことが出来ることに対し、とても満足している。
君だけは、僕から目を反らさなかった。
些細なことに拘泥する僕を受け止め、一緒に悩み苦み、最後の最後まで、僕の我侭に付き合ってくれた。
その事に対し、言葉では言い尽くせぬ程、感謝している。
次に生まれてくるときは、君という体躯では無いのかもしれないけれど、君という存在を忘れた僕であるのだろうけど、僕がたった独りで此処まで来れたのは、君という掛け替えの無い理解者が居てくれたからだと思う。

思い返せば、どうして僕は他人に理解を求めたのだろう?
何処までも続く平行線に交わりが無いことなど、幾多の経験から承知であったはずなのに、僕は同じ愚行を延々と繰り返した。
何回も何回も痛い目を見て、その都度、人を拒絶する道を選ぼうと心に決めたのに、暫くすれば何事も無かったかのように、僕は再び人を求めてしまった。
その結果として得られたものは、空虚という疲労感。

愛していると、目の前の相手に向って何回も云った。
何一つ、お互いのことなど分かり合えていないのに。
手を差し伸べられていると錯覚を抱きながら、僕は相手の全てを知ろうと躍起になった。
傷つくこと、失うものの大きさなんて考えなかった。
分かり合えることの代償が僕の命であるならば、それを喜んで捧げただろう。
あらん限りの力で叫んだ。
寂しい、と。

結局、誰一人、僕の傍には残らなかった。
砂上の城の如く、作り上げては壊れゆく、脆弱な関係しか築くことが出来なかった。
そんな事は初めからわかっていたはずなのに、どうして繰り返したのだろう。
今となってはわからないことだし、それに夢中になっている間、僕は生を実感できたから良かったのだと思う。
後悔は無い。後悔するぐらいならば、生を選ぶ。
これ以上はない満足を抱いているから、今、僕はようやく死を選ぶことが出来る。

楽しいことは、沢山あった。
思い出すだけで、顔が綻んでしまう。
悲しいことも、それ以上にあった。
振り返るたびに、苦しくて涙が零れる。

いい人生。 何一つ不自由ない、とても恵まれた人生だった。
ただ僕は、ほんの少し人と関係を築き上げるのが苦手で、考えなくても済むようなことをぐちゃぐちゃと考えてしまうような人間だったから、この世で長く生きるにはあまり適していなかったのだと思う。
それでも僕なりに必死にこの世界での居場所を探し、考えなくても済むことは、なるべく考えないようにして、頭を空っぽにして生きてみたけど、気が付いた時には逃れようがない無気力な状態に陥っていた。何時間寝ても、ベットから起き上がれる気がしない。やらなきゃいけないことは沢山あるのに、焦燥感だけを募らせて、行動に移す事が出来なかった。

全てが言い訳。
全てが泣き言。

僕に関わって、不快な思いをさせてしまった人達には謝ります。
相容れない人も、上辺だけの救いの手を差し伸べてくれた人も、僕はとても好きでした。僕の人生に起伏をもたらしてくれたのは、間違いなくあなた方ですから。だから今、心からの感謝と謝罪を述べることが出来る。
我侭を云ってごめんなさい。滅茶苦茶なことを喚いてごめんなさい。人と話している時、僕は嬉しかったのだと思います。必死になって自分を誇示していたんだと思います。僕のことを許して貰えなくても、忘れてしまっても、僕はこの偶然の出会い、その全てに感謝したい。

なんだか、この遺書を書くことにも疲れてきた。
いつもの偏頭痛が心なしか心地良く感じるのは、これで最後だからかな。痛みにすら感謝を抱いているのかも。
言いたいことも定まらないし、焦点もぼけてきている。

群れから逸れた獣による、誰一人として響くことのない埋もれゆく言葉。
それでいいと思う。
僕のことなど覚えていて欲しくないし、そんな価値もない。
歴史にも残らない一つの死。
形式染みた涙を流して、時の経過とともに記憶から消しさって貰えれば満足。


望まれて生まれてきたはずなのに、人間全般に対し諦めにも似た憎しみを抱くようになり、笑い方を忘れた自分に残された唯一の選択肢がこれなのです。
命の尊さなんて、笑ってしまうぐらい薄いもの。
流されながら生きてきたんだから、最後ぐらい自分の手で選ばせて欲しい。

人間には、もう未練が無いから、
さようなら。