カラン・・・


ナイフは乾いた音だけを残して床に落ちた。

真っ白な腕に不釣合いな赤い液体が滲み出てくる。


残った腕で止血を試みようとしたが、血は止まるどころか益々その勢いを増し、私を困惑させた。


これが痛みなのか。

久しく触れることの無かった感覚の訪れと共に、額に大粒の汗が滲んでくる。

私は両の足で立ち続けることが出来ずに、その場にゴロリと倒れこんだ。

その間にも血は溢れ、絨毯を赤く染めていく。


外界で吹雪が荒れ狂う中、

厳かに陳列された家具達に見守られ、一つの生命が軋みを上げている。


なぜ人は人を必要とするのだろう。

脆弱な個を寄せ集めて、互いの欠点を覆い隠すために?

寂しさを持ち寄って、不安を拭うために?


今、私は人を必要としている。

自分一人の力では、抗えぬ濁流に流されている。

なんて弱々しい生き物なのだろう。


意識が朦朧としてきて、視界は霞みだし、

暖炉にくべられた薪が爆ぜる音が遠くから聴こえてくる。

痛みは次第に、安息へと向かっていく。


私は今日という日まで、人を寄せ付けずに生きてきた。

延々と連なる漠然とした日常に蹂躙され、暗い屋敷の中で書物を漁り続けた。

どこまでも、途切れることなく。


何を残せたのだろう。

何の意味があったのだろう。

虚無感漂う胸に去来する様々な想い。


これが私の運命なのだろうか。

運命とは何だ?

起きた事象を運命と呼ぶならば、

運命とは諦めにも似た響きを持つものなのだろう。


痺れて満足に動かなくなった唇で最後の言葉を紡ぐ。

誰に届くわけでもないその言葉。


「何も恐れることはない」

「私は神に必要とされたのだから」


いつの間にか吹雪は止んでおり、後には薪の爆ぜる音だけが残った。