悲しみに打ちひがれて沈痛な面持ちで喪に服していたはずなのに、
夕食の時間が来れば当たり前のように食事を摂ろうとする自分がえらく間抜けだなと思う。
こうやって少しずつ生と死の境目が滲んでいく。
別段それが悪いことだとは思わない。
ここまで悲しめば充分だという境界線は無いから、
あいつの分まで生きてやるなんて自分本位な決意をしたり、
あいつは幸せだったなんて決めつけの解釈で片付けたり、
自分を納得させる理由を見つけて前を向くことが出来ればいい。
いつまで経っても忘れられないものなんてこの世の中に一つも無いのだから、
早く涙を拭うべきだ。
そうやって自分に言い聞かせてきたはずなのになかなか上手くいかない。
そういうのが下手糞な性分だからいつまでも引き摺ってしまう。
何でもない晴れた日の昼下がりに、裏山を駈ける君の姿を思い出してまた泣くことがあるかもしれない。
その姿を見て誰か笑うだろうか。
大の男が泣く姿を見て誰か笑うだろうか。
俺にはわからない。