月と小人

全てを飲み込んだ漆黒の海から漣が吐き出されては消えていく。それとコントラストを成すかのように、浜辺では砂粒が月光に反射してキラキラと輝いていた。昼間の喧騒に置いてけぼりにされて静まり返った浜辺の様子を気に止める者は無く、漣の他に音といえば遠くで思い出したように狼の遠吠えが聞こえるだけ。何かが始まる時とはきっとこんな夜なのかもしれない。そんな予兆を仄かに感じさせる静かな情景だった。

気の遠くなるような静寂の中、まるで昔からの決まり事のように月がゆっくりと放物線を描きながら西の空を目指していると、いつの間にやら浜辺の真ん中に小さな影達がポツンポツンと散らばっているのが見える。小さな影の持ち主達は自分達が月明かりに晒されていることに気付くと、慌てて浜辺に落ちていた貝殻の一つに身を潜めたが、貝の中で彼らが動くたびに殻が震えて、それは遠目から見るとまるでヤドカリのようだった。それを知ってか知らずか中では何やらヒソヒソと話し合いが行われている。

赤の小人が云う、
「月は生物が生まれてから死ぬまでその全てを見ている。月の話を聞いてみたくは無いか?」

紫の小人が云う、
「でも月が空から降りてくるのを見たことが無い。どうすれば月は降りてくるのだろう。」

青の小人が云う、
「月は美しい旋律を好むから、空に響き渡る調べがあれば興味をそそられてやってくるに違いない。」
小人達は一斉に貝殻から飛び出すと、流れ星にあわせてタクトを振るい夜空に向かって旋律を奏でたが、月は静かに浜辺を照らし続けるだけだった。

黄色の小人が云う、
「月は好奇心が旺盛だから、不思議なことがあれば間近で見ようと近づいて来るはずだ。」
小人達は互いの手を取り合いながら貝殻を囲むようにして輪を作り、思い思いの叫び声を上げながら放射線状に広がるように倒れてみたが、月が動じる様子はなかった。

緑色の小人が云う、
「月は憎しみを嫌うから、我々がいがみ合えばそれを治めようと降りてくるはずだ。」
小人達は貝殻の上に剣を翳し、互いの帽子を取り合ってみたが、月が西の空から動くことは無かった。

小人達は銘々の知恵を振り絞り月をこの地上へと呼び寄せようとしたが、月が呼びかけに応じる気配は無く、その内に一人、二人と疲れ果て砂浜で寝息を立て始めてしまった。一日中遊び疲れてクタクタになった子供のように無邪気で満足気な笑顔を浮かべて眠る小人達。そして最後の小人が眠りに落ちた後、辺りは再び静寂に包み込まれた。砂浜に広がる景色は先ほどと何一つ変わらぬようであったが、月は漣が少しずつ砂浜を侵していることに気付いていた。何も知らない小人達は安らかな眠りに堕ちている。月は辺りを見渡すと、輝きを抑えながらゆっくりと地平線に向かって降り始めた。

小人が月を呼び寄せたのか、
月が小人に誘われたのか、
それはわからない。
物語の始まりは必然のようで、幾重にも重なる偶然の上に成立している。

音を立てぬようそっと地上へと降り立った月は漣を退けると、眠りに堕ちたままの小人達に微笑みかけ、今まで誰にも話したことの無い物語を静かに語り始めた。悲しい話、優しい話、暗い話、寂しげな話、嬉々とする話、緩やかな話。月によって紡がれた物語の断片は、教訓として押し付けるわけでもなく、他を出し抜く知恵が得られるわけでもない。ただそれが在ったという事実を語ったに過ぎない言葉の数々。けれどもきっと小人達には届いたに違いない。

大切なのは、それを信じる心。
必要なのは、それを受け入れる身体。

全てを語り終えた後に月はそう呟くと、またゆっくりと西の空へと戻っていった。